PowerShot G1 と dcraw(2), 「すばらしい新世界」
PowerShot G1 と dcraw(2)
G1 で何とかちゃんとした色を出そうといろいろ試行錯誤してみたんですが、挫折…orz。
キヤノンの RAW ファイル、CRW フォーマットには VGA サイズの JPEG イメージがプレビュー用として含まれているのですが、そちらからピクセルを拾って対応する RAW データ上のピクセルへのマッピングを行い、変換行列を作ってみる、というところまでやって、色味は確かにかなり近づいたものの激しい色化け、ノイズが生じてしまって使い物にならず。たぶん行列の精度が低いのが問題なんだろうなぁ。ここから精度を改善していくアイディアも今のところないし、何しろ寝不足が辛いので、とりあえずペンディングということにしました。残念!
「すばらしい新世界」
オルダス・ハックスリー著。1930年代に書かれた、アンチ・ユートピア (最近ではディストピアと言うことが多いのかな?) SF 小説、らしい。僕がこの本を読もうと思ったきっかけはもちろん、こっちの本を読んでいたことと、なぜか新宿の紀伊国屋 (南口店) で平積みになっていたから。
子供は完全に工場で計画的に「生産」され、しかも胎児の段階からアルファからイプシロンまでの格付けによる発育コントロール1をし、条件反射訓育と称して自分の階級や境遇を絶対的に肯定し他の階級へ否定的感情を持つようすり込まれる2。高度な科学や芸術は禁止され、社会生活における不安感解消のためにはソーマという合法ドラッグまで用意されている。「社会の安定」のために完全に統制された全体主義的なイメージは、ヒトラーのドイツとかスターリンのソ連とかを容易に想像させるわけですけれども、僕はそういったイメージよりもむしろ、書かれていることがあまりに「合理的」なことが逆に怖いと感じました。
物語は、そんな文明社会にひょんなことから紛れ込んだ野蛮人、ジョンの顛末を描く、という形で進みます3。ところで上で僕が要約した内容にも、訳者の松村さんの解説にも、おまけにアマゾンのレビューでも、そのような未来は反ユートピア的だ、というニュアンスにあふれているわけですが、確かに現在の我々から見ると非常にグロテスクで、幸福とはとてもいえないような未来だけれども、実は作中で本当に不幸な人間はジョンだけなんじゃないか、とふと思ったんですよね。統制者の一人であるモンドとジョンが議論するシーンがあるのですが、我々に近い感覚を持つジョンが感じた文明国の有りようへの疑問点、不満点を、モンドはことごとく論破していきます。それも、単に思想的、イデオロギー的な方法で論破するのではなくて、科学的根拠に基づいて論破するのです (もちろん SF 小説なので言及されている根拠も全て架空のものではあるのですが)。そういう意味では、たとえどんなにグロテスクに見えようとも現実に科学的なやり方でシステムを維持、運営している統制者は素直にすごいといえるんじゃなかろうか。ジョンの不幸は、文明国の有りようから生じたものではなくて、単なるカルチャー・ギャップによるものだったんじゃないか、と思ったのです。
とはいえ、僕はそういう未来を「グロテスクだ」と感じる自分の感覚を信じたいし、だからこそこの小説の持つ「合理性」を怖い、と感じました。この小説に書かれていることほど極端な例は現実にはないけど、「合理性」の名の下にいろいろなモノが抑圧される、という構図は、もっと小さな例ならいくらでも転がっていそう。今読んでいる本によると、科学者ってのは本来、懐疑主義者で謙虚なものだそうですよ!