「カンバセイション・ピース」
「カンバセイション・ピース」
僕が保坂さんの小説を読むようになったのは、やっぱりいつもの本屋の店長に「君と感性が似てるかも」とかなんとか言われて、芥川賞受賞作「この人の閾」を読んだのが始まりだったと思います。それまで読んだことのあるお話とはまったく違う小説に最初は戸惑いながら、自分でもよく分からない1魅力にすっかりひきこまれてしまいました。
ちなみに、これまで読んだ中で一番面白かったのは「季節の記憶」でした。でも今回のお話もなかなかです。44歳小説家の主人公とその妻、3匹の猫、主人公の家を事務所にしている大学の後輩他3人と、19歳の姪っ子のお話です。
普通、小説というとまずストーリーがあって、それに沿う形で主人公や登場人物たちの心象風景があって、場合によっては (ストーリの帰結として) カタルシス2を得る、というようなイメージを抱かれるのではないかと思いますが3、保坂さんの小説にはそういう恣意的な物語性はまったくありません。伝えたいことを効果的に伝えるための舞台装置としての物語を一切利用せず、純粋に主人公の思索、登場人物たちの会話によって伝えたいことを言語化していく、という形態の小説なんですね4。そこで展開される議論はとてもユニークなもので、そこに普遍性を見るとすれば、それは人間が本来的に持つ普遍性なのだろう、と思わせます。
「季節の記憶」が俺的ヒットだったのは、たぶんに「子育て」と言う要素が含まれていたからだろうなぁ、と思うのですが、今回のお話では、存在するということ、死、神についてなどが考えられています。一見、形而上的テーマのように思えるかもしれませんが、保坂さんの場合、そういった純粋に精神的な問題に見えるテーマも、あくまでも身体性を立脚点にして語ろうとしてくれているため、僕にとってはとても腑に落ちるものでした。
この話はなんとなくねおんさんに読んでみて欲しいかも…。そして感想を聞かせてほしい。
それにしてもこの本の装丁は激しく直球勝負ですね(笑。嫌いじゃない、と言うか大好きですけど。