bird液晶テレビ

液晶テレビ

最近、電気屋さんにいくとついつい大画面フラットテレビ売り場に入り浸ってしまいます。
どこかで「日本人には絵画的な液晶テレビの画質がうけている」という話を見かけましたが、確かに液晶テレビの画面は絵画的です。店頭でずっと見ていて1、個人的にはどうも違和感、というか物足りない感じがずっとあったのですが、昨日ブラウン管のテレビを見比べてみて一つ原因かもしれないことを思いつきました。
というのも、液晶テレビには (当たり前なんですけど) フリッカーがほとんどないんですよね。逆に残像が気になるくらい。もちろん、最近の機種はずいぶん残像が少なくなってきていて、実用上はほとんど問題ないわけですけれども。
対して、ブラウン管のテレビはかなりちらちらしています。真正面から見ている時はほとんど気になりませんが、目の端に画面を捉えている時などはかなり気になるでしょう?
僕なんかは小さいころからブラウン管のテレビをずっと見続けてきていて、テレビというのはすなわちブラウン管のあれだ、という意識があるわけです。ああいう、ちらちらした画面、言ってみれば (無駄に) 刺激過多の画面をずっと見続けてきたがゆえに、液晶画面の絵画的な、しっとりとした画面を見ると、どうも物足りないというか、違和感があるんじゃないかな、と思いました。同じようにフリッカーが少なく、しかも残像もないプラズマはどうか、というと、どちらかと言うと液晶テレビを見た時の印象に近い気がするし…。気のせいかなぁ?
とにもかくにも、今の僕の感覚はある意味狂ってしまっているとも言えるわけで、子供たちのためにはもしかすると今からもっと低刺激な映像装置を使った方が良いのかもしれないなぁ、と思ったりしました。

bird君は天然色, 「Avalon」, 今日のあゆみさん

君は天然色

生茶」の新しい CM でかかっている歌。懐かしいなぁ。好きなんですよね、この歌。

「Avalon」

Avalon SAK から借りていまさら見ました。すみません>誰に?

実写、なのに全然実写っぽくないのが印象的。昔、人は人工物と自然物を主に複雑さの違いで判別している、という話を読んだのを思い出しました。

映画だけだとストーリー的には少し食い足りない感じ。腹八分目で抑えておくのがポイントなのかしら?(笑。それにしてもますます「イノセンス」が見たくなってしまった…。

今日のあゆみさん

F1 予選の中継を見ていた時のこと。
「ジャガーってイタリアのチーム?」
「いや、イギリス」
「イギリス?ミック・ジャガー?」
「?」
「…肉じゃが?」
なんでそーなるの!?(笑

birdVAIO のキーボード, リモコン交換

VAIO のキーボード

あゆみさん VAIO のキーボードがまた効かなくなってきた…。
ずいぶん前からふとした拍子にキーボードが効かなくなることがありました。1) 電源を入れ直す or 再起動 or スタンバイから復帰すれば直る、2) USB キーボードでは問題なく入力出来る、といったことから、どうも OS がくさい。
ちょっと調べてみると、「[REG] デバイス ドライバ エントリ、パート 2 – マウス/キーボード ドライバ」というページを見つけました。イベントビューワーの「システムログ」には特に何も残っていないところから、怪しそうなパラメータとして「PollStatusIterations」を増やしてみたりしたんですが、改善されず。他にも「PollingIterations」や「PollingIterationsMaximum」、「ResendIterations」などを増やしてみたりもしてみましたが、状況は変わりませんでした。
しょうがないから USB キーボードを買ってくるかなぁ…。

リモコン交換

ちょっと前から PSX のリモコンの効きが悪くなってきました。電池チェッカーで調べてみた限り、電池が切れている、というわけでもないようなんですが、とにかくリモコンが効かない。おかしいのは、そんな時でも裏の電池蓋を開けて、電池をグルグル回してあげると、ごく普通に使えるようになるのです。
しばらくグルグルしつつ使っていたんですが、イイカゲンめんどくさくなってきたのでまたしてもサポートに電話してみました。こちらで一通り症状を伝えた後、先方に教えてもらった確認点を確認して特に相関がないことを報告すると、あっさり交換処理に。しかも新品をすぐ送ってくれ、新品到着時に故障したリモコンを運送屋さんに交換で渡してくれれば良い、とのこと。
というわけで、我が家はリモコンだけ新品の PSX となりました。今考えてみると、使っていた電池1が微妙に消耗してたのかも。チェッカーではまだ残量はあることになっていましたが、PSX のリモコンが要求する電圧が実はかなりシビアだ、とか。グルグル回すと復活するのは、グルグルすることで電池と接点がこすれて接触抵抗が下がり、一時的に電圧が回復する、とか。そんなことはないか…。
新品電池を入れてちゃんと試してみればよかったなぁ。今度のリモコンで同じ状況になったら試してみようっと2

birdMSN Messenger 6.1, Subversion 1.0.1, 桜のつぼみが

MSN Messenger 6.1

にアップデートされてから、netbios-ns な UDP パケットをやたらにばらまいているような気が…。
気のせいか?

Subversion 1.0.1

mod_authz_svn が SVNParentPath に対応したり、匿名ユーザも含めた形でアクセスコントロールが出来るように拡張された模様。ますます便利になったなぁ。
それにしても、こちらの日本語訳はいつも対応が早くてとても助かります。今回の拡張についてもさっそく翻訳されているようです。どうもありがとうございます。

桜のつぼみが

大きくなってきましたね。都立大の周りにはたくさん桜の木があって、毎年楽しませてもらっています。アウトレットモールの菜の花畑も綺麗だし、いよいよ春めいてまいりました…。

bird「ビラヴド」, 読書の時間, こないだのデカレンジャー, 日曜に

「ビラヴド」

ビラヴド トニ・モリスン著。南北戦争前後のアメリカにおける、黒人奴隷の「自由」や「自身」を取り戻すための苦悩の日々を描いたお話。あゆみさんに借りた本。

この本では、当時のアメリカにおける黒人奴隷の境遇が、当事者の視点で切々と語られています。読むのがつらいくらいのその告白を読みつづけている間に僕が感じたのは、絶望的な「共感の欠如」でした。白人の『先生』は、単なる家畜と同じように奴隷を扱います。そこに悪意があるわけではなく、奴隷というものが他の家畜と同じ、農場主にとっての資産に過ぎないと思っているだけなんですね。出産可能な年齢の女奴隷は資産を増やしてくれる可能性があるから大切、まだ若い子供奴隷を売って大人の奴隷を二人買おう、女奴隷に子供を生ませるために若い男奴隷とまぐわせよう、エトセトラ、エトセトラ…。『先生』が来る前に農場を所有していたガーナーさんにしても、「同じ人間である」というレベルでは共感を持ちつつ、しかし奴隷という立場への共感は持ち得ませんでした。

一方の黒人の側でも、共感し得ない白人による扱いを受け続けたゆえ、自由州において黒人の権利獲得に尽力している白人に対してすら、彼らの考えていることなど分かるわけがない、とあきらめてしまっています。

本を読みながら僕は、ガンジーさんが菜食主義者だったことを思い出しました。それはもちろん、彼がヒンズー教徒であったことと深い関係があるのでしょうが、彼の持っていた「共感の力」とも関係しているのではないだろうか、と思いました。ガンジーさんが大衆から圧倒的な支持をうけた理由として、大衆と同じ服を着、大衆と同じものを食べて、歩いて大衆の元へ赴き、大衆に対して共感出来る言葉で語りかけることが出来たからだ、と書いてありましたが、ガンジーさんのサッティヤーグラハも、原理的にはその、人間の持つ「共感の力」を用いたものと言えるのではないでしょうか。

人は、共感を感じないものに対してはどこまでも残酷になれるようです。しかし逆に、「共感の力」はアメリカで奴隷制度を廃止させました。他者への共感を拒否する人間はまた、他者に共感されることもなくなってしまう、ということを、いとも簡単に人を殺すことの出来る人達には考えて欲しいです。

読書の時間

総計三時間にもなる行き帰りの電車で本を読んでいればそりゃたくさん読めますがな>うさ。薄い文庫本なんかだと一往復で読み終わっちゃうんですよね。だから最近は厚い本が好き。厚すぎると腕が筋肉痛になっちゃうのが難点。「虚数の情緒」は大変だった…。
森博嗣は犀川&萌の最初の三巻だけ読みました。その野暮ったさが結構ツボなので、そのうちまた続きを読むかも。

こないだのデカレンジャー

「ウメコ、俺じゃない」
わはははははははは。あいかわらず最高っす。今回はかなりお色気過多だったなー。父親向けなんでしょーか?

日曜に

家族でお出かけ。駅を歩いているとあゆみさんが恥ずかしそうにしている。
「どしたの?」
と聞いてみたところ、
すっぱいお口をした Suica ペンギンのポスター1を見て、思わず同じ顔をしちゃったところを、ちょうどすれ違った人にばっちり見られちゃって恥ずかしかった」
とのこと。わはは。あるある、そういうこと。

bird「王の帰還」, そういえば鳥乃は, ここのところ, 次はマレーシア

「王の帰還」

先週の金曜にレイトショーで見てきました。21:00 スタートだと終了は 24:40!歩いて帰れるところに映画館があるんでもないとなかなか見られないスケジュールだよな…。
で、肝心の内容ですが、僕は3時間半があっという間に感じられたほど、楽しめました。どのシーンをとってもおざなりなところがなく、原作への愛を感じる出来だったと思います。
映画の内容には大満足だったんですが、隣に座ったおじさんが…。シーンの変わり目に必ず「ムフー!」と盛大な鼻息を吹くのです。それも「息止めてんのかよ!」と裏拳ツッコミしたくなるような勢い。むちゃくちゃ気が散るがな。

そういえば鳥乃は

大きくなったらドラえもんになりたいのだそうです。こないだ、いつものように「ドラえもんになりたいんだ!」と言った後、小さな声で「僕ドラえもん」と大山のぶ代チックな声でぼそっとつぶやいてました。おとーさんは笑いをこらえるのに必死だったよ。プププ。

ここのところ

更新頻度が低いのは、実生活と脳生活1の比率について最近よく考えているからかも。思うに、どうも僕はこれまで家庭での実生活を軽んじ過ぎていたようで、必要以上に脳生活偏重型だったみたいです。ここを更新することなどの脳生活も確かに必要なことだとは思いつつ、日々の生活の中での比率は今よりもう少し低くてもいいだろうと。それよりももっと人間的な生活を送るために必要な実生活に時間をかけた方が、僕にとっての幸せ度は高まることに最近ようやく気がつきました。子供達にとっても今はその方が良いみたい。

次はマレーシア

F1 の話。今週末はマレーシア GP です。先週のオーストラリアは、開幕戦としては近年稀に見るくらい落ち着いたレースでした。たぶんどのチームも今年から導入された「1レース1エンジンルール」が気になって、「リタイアするくらいなら速度を犠牲にしよう」とコンサバ方向に振ってきた結果なんでしょうが、その反動がマレーシアで出るんじゃないかと今から楽しみ。とっても涼しかったオーストラリアと違い、マレーシアは猛暑ですからねー。明らかに速度の足りなかったチームもちらほらありましたから、今回はきっと勝負をかけてくるに違いない。ドタバタしたレース展開に期待!

birdMS InfoPath, 歩きタバコ

MS InfoPath

が近ごろ流行っているようですね。こちらの記事などを見て思ったのは、クライアントを握っている Microsoft としてはしごく当たり前の展開だとは思いつつ、その革新性はどこにあるんだろうか?ということ。

僕なりの理解では、InfoPath とは、

  1. XML オーサリングツールであり、
  2. FORM 作成/実行ツールである。

というもの。先に紹介した記事でも、「InfoPathは、定形フォームを使ったデータ入力の支援ツールだといえる。」とあり、最後は「一言でいって『もはやクライアント・アプリケーションを開発する必要はない』ということだ。」とまで言っており、つまりは現在 SIer が各企業にカスタム・メイドしている業務系のアプリケーションのクライアント部分に位置づけられる製品/技術であることが分かります。

さて、まず最初に僕が考えたのは、「MS ワールドの外に同等の位置づけの製品はあるだろうか」という点です。同じような業務アプリケーションのクライアント側技術としては、最近は Web ベースとされることも多く、そこで用いられる技術としては Struts/Tiles や JSF、オーサリング環境という意味では Project RAVE が対応することになるのでしょうか。Web ベースの UI はクライアント環境への依存度と機能性がトレードオフとなっており、依存度を低くしようと思えば使える機能は非常に限定されてしまう、という欠点があります。クライアントをガッチリ握っている Microsoft としては、思いっきりクライアント環境に依存する代わりに極めてリッチな UI を提供する、というアプローチはある意味王道と言えます。

しかしそう考えていくと、「それってちょっと前に流行った Client/Server システム (いわゆるクラサバ) とどこが違うの?」という気がしてしまいます。C/S 時代も、クライアント側 UI は VB 等を用いてペタペタ form 部品を貼付けていくだけで作成することが出来ました。また、バックエンドシステムとの間は、ODBC を使って RDBMS 中立を保ちつつデータをやりとり、というのが定番でした。

それら過去の仕組みに対して InfoPath では、XML という中立なデータ構造外部化形式が挟まっていることによって、Client-Server 間のみならず、Client 内に閉じたデータも中立的に、抽象化された形で扱うことが出来る、という点が新しいのかな?構造化された情報自体をユーザが意識しやすくなっている点が革新的?確かにかつてのシステムではユーザが扱っている情報の構造全体を明確に意識することは難しかったですが、反面あえて見せないことでシステムに最適化された形のハンドリングも可能だったわけです。

それに、いわゆる C/S システムから Web ベースシステムへの大きな流れを作った原因の一つである、「クライアント環境への依存度」1はまた元の状態に戻ってしまいますよね?いくら XML がシステム中立なデータ構造とはいえ、その中身に何らかの意味を与え動作させる以上、それを読んで動くプログラムのバージョンにまったく依存しないように保つことは至難の技のように思えます。比較的後方互換性が重要視されている Web ブラウザの HTML レンダリングですら、バージョン間非互換性には皆泣かされてきているわけで。

単なる「リッチなコントロールが使える XML オーサリングツール」という存在としては、実はかなりレアだったりしますから、価値あるものだと思います。マルチメディアを扱える特定業務向け XML オーサリングツールを Java (Swing+JAXP) で作っているのを見ていたことがありますが、やっぱりそれなりにめんどくさそうでしたから…。

すなわちそういうことなのかな?上記記事の「もはやクライアント・アプリケーションを開発する必要はない」っていうのが言い過ぎなだけ?

追記。クライアント環境への依存性、という点では、XML Schema という標準準拠なデータファイルを用意するだけで最低限のフォームは自動生成出来るようですね。でも、妥当性チェックなどの少し突っ込んだ処理を記述するためにはやっぱり JScript や VBScript を用いるようで、この辺は結構微妙。

XML Schema (+妥当性チェックのための独自ロジック) を用意するのと、例えば Struts で入れ物の JSP+form オブジェクト+Validator クラスを用意するのって、前者の方が圧倒的に簡単、ってことは必ずしもない気がするがなぁ。

歩きタバコ

会社帰り、団地に向かう道を歩いていると、歩きタバコしている人を小走りに追い抜く若い女性を見かけ。うーん気持ち分かるなぁ。
体調がいい時はあんまり気にならないけど、すごく疲れている時とかって結構ツライんですよね。しかも帰る方向が一緒だったりするとずっと煙を吸わされちゃったりして。タバコを吸う人にはこういう感覚はよく分からないかもしれませんが、例えて言えば口臭が超臭い人の吐く息を家に歩いて帰る間中吸わされているような感じ、かなぁ。言葉は悪いですが…。

bird2.6.3, libdv, 「立喰師列伝」

2.6.3

自宅マシンの kernel を 2.6.3 へ。Debian backportsの 2.6.2 ディレクトリを apt の sources.list に追加したらなぜか 2.6.3 の source tarball がゲット出来た。

その後はいつも通り、

  • .config をコピーして
  • make oldconfig して
  • make-kpkg –revision tpx20.1 kernel_image して
  • 出来上がった deb を dpkg -i

して完了。

VMware は kernel を上げた後必ず vmware-config.pl をもう一度流す必要があります。会社マシンの 2.6.2 では以前 2.6 対応を行った時のままですんなり実行出来たんですが、自宅マシンの 2.6.3 ではエラーでうまく実行出来ず。まぁ自宅では VMware を使うこと自体希なのでとりあえず放っておくことにしました。そのうちに VMware のバージョンアップで対応されるでしょう。

libdv

kernel を 2.6 台に上げてから一度も実行していなかったので気がつかなかったんですが、IEEE1394 経由で DV カメラ1と動画データをやりとりするのに使う libdv が、Debian 標準の 0.99-woody2 というバージョンではうまく通信出来なくなっていました。どうも video1394 デバイスドライバのインターフェイスが微妙に変わった模様。
しょうがないので Quasar DV Codec Home Page から最新の source tarball を取得し適当にインストール。無事、動画データの送受信が出来るようになりました。
ところでこういった Debian パッケージ外のアプリケーションを入れる場合、最近の僕の好みは home directory の opt 以下にアプリケーション毎にディレクトリを作成し、そこへインストールしてしまう方法。PATH や LD_LIBRARY_PATH 環境変数を適当に修正して利用します。これならば将来正式なパッケージが対応してくれた場合には、単にそのディレクトリを消して PATH と LD_LIBRARY_PATH を戻すだけで修正出来ます。
昔は何も考えずに /usr/local に入れちゃってたりしたんですが、後から消そうと思うとかなりめんどくさいんですよね…。ちゃんと自作 deb を作ってどうこう、というのが Debian では本筋なんでしょうが、それも激しくめんどくさい。

「立喰師列伝」

立喰師列伝 SAK に借りたアホな本。「イノセンス」が今話題の押井守監督の、「立喰師」という架空の (だよね?) ゴト師についての列伝形式の論文。

やーなんと言うか、激しくアホなんですよ。昼前の牛丼屋に現れて店の在庫を喰いつくす、鼻輪をつけまるで野獣のような牛五郎って誰よっ!?(笑。しかし、戦後から高度成長期、学生闘争の時代から現代に至るまでの社会に描写には、押井さんの社会観が、以前ねおんさんと「人狼」を見た時に議論した、学生闘争の影響の大きさ、ってものをここでも感じたような気がしました。彼は「何も生み出さなかった<戦前>」なんて書いてますが、だとしたら僕らの世代は失われた太平洋戦争前後の断絶を繋ぐことを期待されている世代なのかもしれないなぁ…なんて漠然と思ってみたり。

押井さんと言えば、「イノセンス」の主題歌を歌う伊藤君子さんんのインタビューで紹介されている、押井さんのお嬢さんの言葉がとても印象的。

押井さんについては、こんなに物忘れの激しい私でも忘れられないことがありまして。実は、録音の時に、押井さんのお嬢さんがいらしていたので、「どんなお父さん?」て聞いてみたんです。そうしたら、「このお父さんで本当によかった」って言うんですね。「だって自分のためにこんなにいろんな話をしてくれるお父さんって、他にいないと思うから」って。作品についての話よりも、「Follow Me」を歌うためにはこの言葉で十分だったのかも知れませんね。

娘さんにもあの調子で語ってるんだ…という点はさておき(笑、僕も娘が大きくなったらこんな風に言ってもらえるような父親になれるでしょうか。がんばらないと。

birdF1開幕, 電車で, jvim, カプコン

F1開幕

いよいよ今日から 2004 年度の F1 グランプリが開幕しました。
ミシュラン有利、との噂にもかかわらず、初日のフリー走行はフェラーリ+ブリヂストンが 1-2。BAR も好調さを維持していますし、明日の予選が楽しみです。
そういえば今年からまた予選のルールが変わって、土曜日に2回走ることになったんですね。予選を2時間続けてやる、というのはなかなか面白いですね。
そうそう、最近僕がよく見る F1 サイトと言えば、F1-Live.com。ちょっと日本語が変なこともありますが、何より写真が多いし情報も豊富で早い。すっかりお気に入りです。

電車で

隣に座った僕より少し若いくらいのかっちょイイお兄さんが、「のだめカンタービレ」を読んでた。ううぅ読みたい。今度妹のところから借りてこよう。

jvim

僕が普段メインで使っているエディタ、jvim-canna にて1編集中の日本語テキストファイルの文字コードを変更する方法をメモ。

jvim-canna では Ctrl+g を押した時に画面最下段に表示されるステータスラインで現在編集中の日本語テキストファイルの文字コードを判別出来ます。

"whats.html" line 1 of 41 --2%-- col 1/44 ch 0x3c [J]  

一番最後の [J] が文字コードを表していて、「J」なら jis、「S」なら sjis、「E」なら eucjis です。

さて、このファイルを sjis で保存したい場合は、「jc2」オプションに「s」をセットします。

:set jc=s  

eucjis にしたい場合は「e」、jis にしたい場合は「j」です。大文字、小文字は関係ないようです。Ctrl+g を押して先程の表示が更新されていることを確認した後、普通にファイルを保存すると指定した文字コードで保存されます。

最近のバージョンの vim はそのままでも文字コード変換等出来るようですね。僕は Debian woody なのであいかわらず古い jvim を使い続けているのでした3

カプコン

ここのところのカプコンの新作はどれも面白そう。野心的な「鬼武者3」もそうですが、3/11 発売の「MONSTER HUNTER」、4月予定の「Crimson Tears」、先日 PS2 版の開発も発表された「Killer7」などなど。
「Crimson Tears」は「TOBAL No.1」や「バウンサー」などを作った DreamFactory の新作。前の作品はどちらもゲームとして「名作か?」と言われると微妙なんですが、個人的にとても波長が合う感じだったのです。このうち何本買えるかはボーナス次第かな…<そんなんばっかや。

bird「真の独立への道」「ガンジー」

「真の独立への道」「ガンジー」

真の独立への道−ヒンド・スワラージ ガンジー ガンジーさんのことを何にも知らなかったので、ガンジーさん自身の書いた「真の独立への道−ヒンド・スワラージ」と、小学生でも読める伝記の「ガンジー」を読みました。

前者は、イギリス人を追い出して自分達の政府を作ることこそが「自治」だと考えているインド人の「読者」を、ガンジーさん自身を表しているのであろう「編集長」がこんこんと説得するという対話形式で書かれている本です。「自治」とは、みんなの心の中から自然と生じるものでなければならない、銃火でイギリス人を追い出し例えインド人が権力を握ったとしても、それではインドは幸せになれない、と説くそのお話にはとても考えさせられました。

ガンジーさんが重んじている「サッティヤーグラハ」、日本語では慈悲の力、魂の力、英語では「受動的抵抗 (自分の権利を獲得するために自分で苦痛に耐える方法)」と訳されることもある概念とは、例えば、ある人に関係する法律が成立したがその人はその法律が気に入らなかった場合、その法律に従わず、そのために下される罰を受けいれるようなやり方のことです。「読者」が、サッティヤーグラハは弱者の方法で、強者なら大砲を使うだろう、と行ったことに対しての下記の言葉は、カンジーさんの価値感をとてもよく表しているように思います。

あなたはなんと思っているのですか?大砲を放って数百人を殺すのに勇気が要りますか?それとも銃口に笑顔で縛りつけられるのに勇気が要りますか?死を頭に頂いて進む人が勇者ですか、それとも他人の死を手中に握っている人が?男らしくない人は一瞬たりともサッティヤーグラヒーではいられない、それを心にしっかりと留めなさい。

真の独立への道より引用

我々が普段トップダウン的なものと考えてしまいがちな国家というものは、ほんとうにボトムアップで構成されていなければならないのですね。銃火や暴力的性急さで体制のみを変更したところでうまく行かない、国民一人一人が「よりよく暮らすにはどうすればよいか」を考え、自らの心と身体を鍛えて、勇気を持ってサッティヤーグラヒーになろう、というガンジーさんの声にはとても説得力を感じました。

ちょっと前に読んだ養老さんの本にも、こないだ読んだ「神は沈黙せず」の大和田老人の言葉の中にも、一人一人が自分の直接触れられる世界の中で、手の届く範囲で、声の届く範囲で、正しいと思えることを行うように努力することが大事、というメッセージが込められていました。ガンジーさんのようにインド全体、世界全体の何億人にも影響力を与えるようなエネルギーは普通の人にはないかもしれないけど、身の回りの人達に影響を与えることは出来る。そう、世界はボトムアップで構築されているんだよ。みんなが変われば世界も変わるんだよ。

そういうふうに今僕は思うし、これからも考え続けていこうと思う。

First | Prev | 433 | 434 | 435 | 436 | 437 | Next | Last