「脳のなかの幽霊、ふたたび」
「脳のなかの幽霊、ふたたび」
V.S.ラマチャンドラン著。書名は「ふたたび」となっていますが、前作からさらに思索を進めたもの、というわけではなくて、一般の人に対する講演の内容をまとめなおしたもの、という本です。そういった意味では、前作以上に読みやすく長さも短いので、とっかかりとしてこちらから読む、というのもアリかもしれません。
元が講演会の内容のせいか、その主張は前作よりもラジカル、というか、より自由に推論を展開していて、面白いです。推論、と言ってもラマチャンドラン博士のこと、きっといろいろな観察や実験がベースにあるに違いなく、「芸術の論理」に関する話などは、「うーんなるほど」と思わせます。
前作の中心的なテーマが「幻肢」だったとすれば、今作は「共感覚」がそれにあたるでしょう。「共感覚」とは、数字を見ると色を感じる、と言ったような、2つの感覚が入り混じることをいいます。最近の研究から、それほど珍しいものではないそうですよ。数字とともに色を見る共感覚者の場合、数字の認識能力が非共感覚者よりも有意によかったりするらしく、ちょっとうらやましかったり(笑)。
個人的に面白かったのは、前作にも出てきた視覚の二つの経路、いわゆる「ゾンビ」の話です。「盲視」という珍しい病気は、左右どちらかの視覚皮質を損傷した際、その損傷と反対側が見えなくなってしまう、というものですが、その病気について調べていた神経科学者が、その見えないはずの領域にある光点を患者に指し示すように言うと、患者自身は全く見えない、完全にあてずっぽうと言っているにもかかわらず 99% の精度で光点を正しく指し示せることがわかった、というのです。この理由は、視覚の二つの経路のうち、新しい、意識と結びついたほうの経路は損傷したが、古いほうは無事なために仕事を行う事が出来たものと推測されるのですが、僕はこの話を読んで、脳の中で、意識とは関係ない部分の処理でさえも、かなり意味的に高レベルに扱われていることに驚きました。だって、「光点を指差す」というのはそれだけで相当複雑な処理です。そんな複雑な処理も、脳は意識の介在なしに実行できるのです1。僕らはしばしば、「意識」=「大脳の働き」と考えがちですが、意識は大脳が行っている処理のほんの一部に過ぎない、ということを忘れちゃいけないんだろうなぁ、と思いました。
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加えて、意識を介在させずに、耳から聞いた指令を身体に実行させる、というのもちょっと僕の想像を絶しています ↩︎